2006/12/31

良いお年を

新しいお友達が増えたり、楽しいイベントに参加できたり、転職したり、弟が結婚して新しい妹ができたり、バクチクの活動は少なかったけど、少ない分濃い印象が残ったり、そんな1年だったようなきがする。
お世話になった方々、ほんとうにありがとうございました。ダメダメ人間ですが、ちょっとでもまともな人間になれるようガンバリマス。また来年もよろしくお願いいたします。

とりあえず部屋は全く片付いてないけど、風呂入って体だけでも綺麗にして新しい年を迎えたいです。

来年はもっとライブに行きたい。いい音楽にめぐり合いたい。心はバクチクとともにありたい、
いつもだけどもっともっと。

2006/12/30

そういえば書いてなかった

8月にマシューボーンの「シザーハンズ」を見に行ったのですが、その感想を書いてブログに書いてなかった。今更ですが、上げて見ようかと。

なんか、テンションがおかしいんだけど、まあいいか。

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キャスト表をくれなかった!だからみんな役名だよ。

なんというか、マシュー・ボーンならどうなる?っていう期待が私の「見たい欲」の大部分を占めていたんです。
だけど大筋はほとんど同じでした。あの映画を舞台で雰囲気壊さず表現できるってのはやっぱりものすごい才能だと思うんだけど、だけど大体同じであることはあまり期待していなかったので、私としてはあんまり面白くはなかったなと。あ、でも公演の内容は全然普通に楽しめます。というか、流石です。

※パンフレット買わなかったので、正しい筋は間違ってるかもしれないです。その際はご指摘いただければ幸いです。
映画と違った点は、エドワードは、博士の息子としてこの世に生まれていたということ。
まだ生きていた幼い頃のエドワードがハサミをもって外で遊んでいたところ、雷が落ちてきて死んでしまうのですが、死を認められない博士(父親)によって、エドワードは作りだされた。
だから「未完で手がハサミ」じゃなくて、「息子の思い出として手がハサミ」という点が大きく違う。
でもそんな博士は、人造人間作ってる幽霊屋敷のような自宅なわけで、好奇心でやってきた街の悪がきのからかいにあい、そのショックで死亡(でも寿命も近かったんだと思うけど…)。からかい、っていうのも、ハロウィンのようなフランケンシュタインとか、かぼちゃの化け物程度の変装をしたガキンチョが、博士の城にそーっと入り込んで博士をビックリさせてちょっとこずきまわした程度のものだったですよ。ちょっと、博士の死については、軽い扱いでした、なぜか。
そのあと人造人間エドワードは、ふらふらと街にやってきて、そこで偶然逢った親切なおばさんぺグの家に招かれ、そこから先は映画と同じ。
で、最後がまたちょっと違ったんだけど、映画だとジムが死んでしまうけれども、マシュー・ボーン版ではジムは生きていてエドワードが死んでしまいます。
以上、話の筋の違いでした。

話の筋について思った事。
雷に打たれて死んでしまう、ってのはちょっとあれかな、と思ってしまいました。
でも「何でも作ってしまう博士」の動きを演出するよりも、見ていてわかりやすいし、違うとこから入ることで、映画見てる人を引き付ける意味もあったのかもしれない。わかんないけど。この理由では私は納得できないけど。
あと、一番思ったのが、エドワード怒らないんですよ。
映画版だと「怒り」もしっかり盛り込まれてますが、舞台ではひたすら阻害されることが強調されていたように思います。人間に対して、積極的に暴力はふるいませんでした。
でもそれって、結局可愛そうなエドワード、だけで終わっちゃう気がするんです。
阻害されても耐えて耐えて殺される。聖人的な扱い。人間じゃない。結局形は違っても「怪物」「聖人」で人間じゃない。人間じゃないままで終わっちゃったら、それはただのいい話になってしまう気がしました。
映画だと、怒りも覚え、殺意も覚え、全て人間と同じ感情を持っているのにもかかわらず、自分は人間として扱ってもらえないという方に私は悲しみを感じたもので。そして尚且つ、それらの経験、思い出を持ったまま生きていると言う事に感動してしまった私なので。
そこら辺の違いに私は物足りなさを感じたのかもしれないです。
見る人によって差が出るところだろうけれども。
それに、冒頭で博士が「子供の思い出として付けられたハサミ」の意味が最終的に生きてきたか?といわれると、生きてないきがしてならない。そこがやっぱり残念だったなーと。


演出、場面転換、小道具は本当にお見事で、飽くことなく見られました。
男性×女性グループ、子供×大人グループ、キム一家×ジム一家×神父一家×お色気おばちゃん一家、その他1家族4人ずつのグループ、それぞれのグループに集合したり分散したりダンスが交差しあい、その中でも個性がそれぞれ生きており、そこにエドワードという異質な個人(主役)が入ってくることで歓迎、愛情、嫉妬、阻害などが浮き出てくる。ダンスのことを詳しく知ってるわけではないのでどうこう書けませんが、そういう動きで(表情を無視しても)集団の中に湧き上がる感情を表すことは、心底うまいと思ってしまいます。
私は神父一家(映画だと一番最初にエドワードを見て呪いのセリフを吐くおばちゃんにあたる)がツボでした。なんか、オジー・オズボーン一家と、アダムスファミリーを足して2で割ったような感じ(笑)ゴシックなんだけど、パンクみたいな。神に仕えてるのにどこかヒステリックな感じ。
マシュー・ボーン作品では毎回登場する、中年だけどお色気ムンムンのおば様。(他の作品だと王妃とか)映画ではもうそのまんまで登場してたので、まんまで。てか、このおばさんを使いたいが為に、シザーハンズやった?とか思っちゃった。(違うと思うけど)
あとね、キムが目立たなかったよ、あんまり…。キムより、他の家族の女の子の方が服も動きもよかったんだよ…。ってまた私の趣味的な問題だな、これ。

仕掛けとか私はあんまり興味ないんだけども、一応書いておきます。
植木を星の形にカットするシーンとかあるんだけど、よく出来てました。もとの植木をエドワードがハサミをシャカシャカ動かして触れると、ぱらぱらと落ちていくんですよ葉っぱが。一気にじゃなく、ちょっとずつ。で最終的に星の形になるという。あれどうやってんだろう。
あと氷を天使の形にカットするシーン、映画でも印象的なキムが踊る場面。ちゃんと氷くずが舞い散ってました。これはでっかい氷の像の後ろでなんかやってるのわかったんだけども、再現できるってのはすごいんでしょうね。

んで、これは言っちゃいけないと思う一番の仕掛け、ポイント。
最後、エドワードが死んで、冒頭で語ってたおばあちゃんが出てきて、エドワードが背景とともにシルエットで浮かび上がったら終わりだと思うじゃないですか。
てか、終わったんですよ。ここでみんな感動に包まれ拍手。
でも、カーテンコールがあるでしょ?次はカーテンコールだと思わせるだけの間は取っていた。
カーテンコールでまず、一人でエドワードが出てきたら役者として出てきたと思うじゃない?
違うんだよこれが!!
エドワード登場後、憂いを帯びた表情でハサミの手ををいい感じに持ち上げてポーズ。
…その時。
会場に向かって、雪が降るんだよ!
前列5列目くらいまでは雪まみれ!実際何が降ったのかわかんないんだけど、白いものがぶわーーーーーっと降るんだよ!
映画ではキムの事を思って降らせた雪って感じだけども、舞台では見ていたあなたたちに!って雪が降るんだよ。これはちょっと意標をつれた感じがした。
…でも本編でちょっと残念、と思ってた私には「まあこのくらいはないと…」とか思っちゃった事は内緒だよ!
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以上。

2006/12/29

バクチクTHE DAY IN QUESTION

毎年の〆になってきました、バクチク武道館行って来ました!
バクチクのライブ前ってあんまりCD聞きたくなくなる(別に今日の為にとっといたとかそういうことじゃないんだけど)変な人で、もううんざりするほど聞いているシングル曲も新鮮に感じてよかった。てか、古い曲も聞きすぎてるシングル曲も今井さんのギターが凄く良くなってた。ああだから新鮮だったのか(今気がついた)、あと最近やってない曲を今のバクチクが演奏すれば、いろいろ新鮮になるよね。そうだ。
生ってやっぱりいいな、一人でこもって音源聞いてるだけでもそれはそれでいいのだけど、曲が生まれ変わったり、輝き方がかわったり、歌い方がちょっと変わるだけで曲の意味が変わってきたりするものね。それができるものバクチクは。

私がバクチクで一番初めに覚えた歌詞は「J」で、バクチク好きになった後発売されたアルバム「狂った太陽」で凄い好きなのにあんまりライブでやってくれない曲が「Machine」で、初めて聞いたときから全く色あせず好きな曲ベスト5にいつも入る曲が「密室」で、ライブでやってますます好きになってきた曲が「Tight Rope」で、櫻井敦司の「櫻」と曲名の「さくら」から取ったわたしのハンドルが”さくら”なんですが、全部やってくれたので非常に嬉しかったです。(好きの差がわかんないかもしんないけど、みんな好きなのでいいです)涙でてきたよ。じわーっと今日は染みてきた。
何度目の改めかわからないけど、改めて惚れ直した。
あと十三階の曲はもう、アンコールでくぎらんでもあのメニューにまぜられると思うんだけどな、んー…でもどうでもいいや。そんなん考えこむこと自体無意味だって思った。そこにバクチクが存在してくれるのなら私は何もいらないかも。

ああ、アホだ。アホな感想書いてる。…でもね、曲聞いてる間本当に何にも考えてないんだ。その曲にただ没頭してる。思考なんかないの。感覚だけなの。なんでバクチクだけはこうなってしまうのかなー。

今日のライブはパーフェクト チョイスで2007年3月16日(金) 22:00~放送予定です。見れる人はみんな見よう!
詳しくはこちら

これからファンクラブオンリーのライブのDVDでも見るかな。

ああ忘れてた!ひでさんのそろプロジェクト「dropz」のアルバム発売日がやっと決定しました。良かったね、ひでさん。
2007年4月4日、1st ALBUM「SWEET OBLIVION」

今日電車乗ってる時と勤務時間以外は朝からずっと走ってた気がする…喘息でそうになった…。
来年はバクチク新作出るだろうし、ツアーも始まりそうだし体力つけとかないと。

2006/12/28

頭の中と同じように

部屋の中が散らかってます。
バクチクDVD、望月さんのマイムのパンフ、マイムの生写真、マイムのDVDリスト、ゲイツ本、バクチク会報、バクチク会報に入ってたチラシ、デルジのビデオ、バクチクからの誕生日カード、煙草、バター飴、ウーロン茶、薬、化粧品、マニキュア、香水、酒の空瓶、バーボン。
大事なものならしまうべきなのですが、しまえません。
もういいよこのまんま年越すよ。

明日バクチクライブですが、仕事帰りにそのまま直行です、着ていくものはどうしよう、どこまで許されるのものかしらん。
あんなに楽しみだったのに、今は眠気が勝ってる私を許してください。(誰に言っているのだ?)

2006/12/27

好き過ぎて見れない

バクチクファンクラブオンリーのライブをDVDにして送ってくれるというのがあったんですが、そのDVDが大分前に届いてます。
物凄く見たいんだけど、構えてしまって、もったいなくて見れない。
自分がいまどんな状態であれ、見たらすんなり見てしまうのも解ってるんだけど、見れない。
早く見たいんだ。だけどなんか今はミレナイヨ~。でも見たい~。
多分、武道館のライブが終わるまで見れない気がする。

2006/12/26

雨が大好きで夜が大好き

どしゃぶりの中、チャリで帰ってきたのです。
途中に坂道があるんですよ。そこを雨水が流れてきて、鏡面のようになってるわけです。もうね、車が通ると車についてるヘッドライトと水面に写ってるヘッドライトがするするーっと滑り降りてくるように感じてしまうのですよ。
私はちゃりに乗って坂道を登らないといけないのですが、世界がつるつるキラキラしてるから坂上ってるって感覚より、ちょっと地面より浮き上がってる感覚の方が強くなって、そしたらものすごい楽しく感じてしまった。もう傘など投げ捨ててずぶぬれになって喜び駆け回りたくなった。

もう脳みそ腐ってるのかな。…考えるまでも無く腐ってるけどね。

2006/12/25

金色と銀色

月ピを見て思ったこと総括。
総括とかいうほど書かないんだけどね。というか、多分ほとんど違う事書くけど。
漠然と書くよ。

1回目見たときと2回目ではかなり印象変わりました。
話の筋というより、今のISSAYさんを知りたくて演技から出てくるものから手繰ろうとして、でもわかんなくてイライラしてたんだな、私、と思った。
2回目は望月さんを中心に見てました。てか、普通そうだよな、主役なんだから。(でもISSAYさんは主役と絶対接触持ってる役だから前はそれでもわかった(気になってた)んだけどなー。)
そしたらね、本当にもう、するするとピエロは望月さんなんだ、って解った。はじめ私は「ピエロを演じている望月さん」から伝わるものを探ろうとと思ってた。でもそうじゃなくて、望月さんがピエロそのものなんだなーと気がつくことが出来た。
そしたら、ものすごーく寂しくなって泣いてしまった。

私の仕事は「金色と銀色」の世界なので現実に引き戻されるどころか、マイムの世界にひきもどされてずっと浮き足立ってました。変な人!
それでずっと「孤独」について考えてたんだけど(仕事中に)、孤独な人は孤独な人(もの)をどうしても求めてしまうんじゃないのかなーと思った。というか私がそうなだけなのかもしれないけど。
傷の舐めあいとかそういうことじゃないです。
孤独を知ってるから相手の孤独をわかってしまう。でもお互い孤独だから、孤独の埋め方が解らない。ただひたすら相手からなにかを奪って埋めようとする。または与え尽くそうとする。だけど相手から奪ったものでは孤独は埋められない。いくら与えたくても、孤独が埋まる事が無い事は知っている。解っていても奪わずには、与えずにはいられない。でも孤独が埋まる事はいつまでたってもないだろう。孤独がますます深くなるだけだろう。そこにプライドやいろんな感情が加われば尚更加速するだろう。
それだったら、孤独な自分の見えない別の世界の中で生きてた方がいい。でも別世界を完璧にするには、自分の孤独がなければ多分、完璧にはならないんだろうな。
寂しすぎる世界も、楽しすぎる世界も、考え出す原動は孤独なんだろうな。

とか考えてたんだ。昔も何度も考えてたことなんだけど、久しぶりに帰ってきちゃった。そしたらどうしようもなく一人になっていって仕事中なのに泣きそうになった。泣かなかったけど。
自分が人と距離を置くのは全部見えてしまうことと、求めてしまう事が恐いからなんだろうな。
もう感情なんか消えてなくなってしまえばいいのに。それが一番苦がなく生きられる唯一の方法だとか、悲しい事を思っちゃった。

マイムの事で思ったことをもうちょっと。
私の中の「月」(役ではなく、実際に空にある月)は「完璧な孤独」の象徴という先入観があって、1回目見たときそこらへんからなんか見失った気がする。思い込みは良くない。本当に良くない。

月ってずーっとそこに一つで存在しつづけているでしょ?人間ごときの孤独より、想像もできないほど孤独なんじゃないかな、もう孤独とか、感情というものを忘れちゃってるんじゃないかな。
でも、あんなに綺麗に輝いている。月は孤独を忘れてしまっているかもしれないけど誰かに「ここにいる」ことを伝えることだけは止めない。…とかぼやいてみる。

最後になってしまったけど、chrisさん、ありがとうございました。「一番好きな作品が月ピ」という一言を聞いてなかったら、もやもやしたまんまだったかもしれません。
コミュに書くにはあまりに個人的過ぎる感想(?)なのでこっちに書いちゃいました。