金色と銀色
月ピを見て思ったこと総括。
総括とかいうほど書かないんだけどね。というか、多分ほとんど違う事書くけど。
漠然と書くよ。
1回目見たときと2回目ではかなり印象変わりました。
話の筋というより、今のISSAYさんを知りたくて演技から出てくるものから手繰ろうとして、でもわかんなくてイライラしてたんだな、私、と思った。
2回目は望月さんを中心に見てました。てか、普通そうだよな、主役なんだから。(でもISSAYさんは主役と絶対接触持ってる役だから前はそれでもわかった(気になってた)んだけどなー。)
そしたらね、本当にもう、するするとピエロは望月さんなんだ、って解った。はじめ私は「ピエロを演じている望月さん」から伝わるものを探ろうとと思ってた。でもそうじゃなくて、望月さんがピエロそのものなんだなーと気がつくことが出来た。
そしたら、ものすごーく寂しくなって泣いてしまった。
私の仕事は「金色と銀色」の世界なので現実に引き戻されるどころか、マイムの世界にひきもどされてずっと浮き足立ってました。変な人!
それでずっと「孤独」について考えてたんだけど(仕事中に)、孤独な人は孤独な人(もの)をどうしても求めてしまうんじゃないのかなーと思った。というか私がそうなだけなのかもしれないけど。
傷の舐めあいとかそういうことじゃないです。
孤独を知ってるから相手の孤独をわかってしまう。でもお互い孤独だから、孤独の埋め方が解らない。ただひたすら相手からなにかを奪って埋めようとする。または与え尽くそうとする。だけど相手から奪ったものでは孤独は埋められない。いくら与えたくても、孤独が埋まる事が無い事は知っている。解っていても奪わずには、与えずにはいられない。でも孤独が埋まる事はいつまでたってもないだろう。孤独がますます深くなるだけだろう。そこにプライドやいろんな感情が加われば尚更加速するだろう。
それだったら、孤独な自分の見えない別の世界の中で生きてた方がいい。でも別世界を完璧にするには、自分の孤独がなければ多分、完璧にはならないんだろうな。
寂しすぎる世界も、楽しすぎる世界も、考え出す原動は孤独なんだろうな。
とか考えてたんだ。昔も何度も考えてたことなんだけど、久しぶりに帰ってきちゃった。そしたらどうしようもなく一人になっていって仕事中なのに泣きそうになった。泣かなかったけど。
自分が人と距離を置くのは全部見えてしまうことと、求めてしまう事が恐いからなんだろうな。
もう感情なんか消えてなくなってしまえばいいのに。それが一番苦がなく生きられる唯一の方法だとか、悲しい事を思っちゃった。
マイムの事で思ったことをもうちょっと。
私の中の「月」(役ではなく、実際に空にある月)は「完璧な孤独」の象徴という先入観があって、1回目見たときそこらへんからなんか見失った気がする。思い込みは良くない。本当に良くない。
月ってずーっとそこに一つで存在しつづけているでしょ?人間ごときの孤独より、想像もできないほど孤独なんじゃないかな、もう孤独とか、感情というものを忘れちゃってるんじゃないかな。
でも、あんなに綺麗に輝いている。月は孤独を忘れてしまっているかもしれないけど誰かに「ここにいる」ことを伝えることだけは止めない。…とかぼやいてみる。
最後になってしまったけど、chrisさん、ありがとうございました。「一番好きな作品が月ピ」という一言を聞いてなかったら、もやもやしたまんまだったかもしれません。
コミュに書くにはあまりに個人的過ぎる感想(?)なのでこっちに書いちゃいました。
1 件のコメント:
なんか、物凄い気恥ずかしくて消したくなってきた。
まあ、いいか。どうせすぐ埋もれるし。
ついでに今日思ったことを。
ISSAYさんの月にはもうちょっと孤独感があって欲しかったらしいです。私。
でも望月さんはそれを望んでないのだろうな。だったらそれでよかったんだな。うん。
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