2006/12/30

そういえば書いてなかった

8月にマシューボーンの「シザーハンズ」を見に行ったのですが、その感想を書いてブログに書いてなかった。今更ですが、上げて見ようかと。

なんか、テンションがおかしいんだけど、まあいいか。

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キャスト表をくれなかった!だからみんな役名だよ。

なんというか、マシュー・ボーンならどうなる?っていう期待が私の「見たい欲」の大部分を占めていたんです。
だけど大筋はほとんど同じでした。あの映画を舞台で雰囲気壊さず表現できるってのはやっぱりものすごい才能だと思うんだけど、だけど大体同じであることはあまり期待していなかったので、私としてはあんまり面白くはなかったなと。あ、でも公演の内容は全然普通に楽しめます。というか、流石です。

※パンフレット買わなかったので、正しい筋は間違ってるかもしれないです。その際はご指摘いただければ幸いです。
映画と違った点は、エドワードは、博士の息子としてこの世に生まれていたということ。
まだ生きていた幼い頃のエドワードがハサミをもって外で遊んでいたところ、雷が落ちてきて死んでしまうのですが、死を認められない博士(父親)によって、エドワードは作りだされた。
だから「未完で手がハサミ」じゃなくて、「息子の思い出として手がハサミ」という点が大きく違う。
でもそんな博士は、人造人間作ってる幽霊屋敷のような自宅なわけで、好奇心でやってきた街の悪がきのからかいにあい、そのショックで死亡(でも寿命も近かったんだと思うけど…)。からかい、っていうのも、ハロウィンのようなフランケンシュタインとか、かぼちゃの化け物程度の変装をしたガキンチョが、博士の城にそーっと入り込んで博士をビックリさせてちょっとこずきまわした程度のものだったですよ。ちょっと、博士の死については、軽い扱いでした、なぜか。
そのあと人造人間エドワードは、ふらふらと街にやってきて、そこで偶然逢った親切なおばさんぺグの家に招かれ、そこから先は映画と同じ。
で、最後がまたちょっと違ったんだけど、映画だとジムが死んでしまうけれども、マシュー・ボーン版ではジムは生きていてエドワードが死んでしまいます。
以上、話の筋の違いでした。

話の筋について思った事。
雷に打たれて死んでしまう、ってのはちょっとあれかな、と思ってしまいました。
でも「何でも作ってしまう博士」の動きを演出するよりも、見ていてわかりやすいし、違うとこから入ることで、映画見てる人を引き付ける意味もあったのかもしれない。わかんないけど。この理由では私は納得できないけど。
あと、一番思ったのが、エドワード怒らないんですよ。
映画版だと「怒り」もしっかり盛り込まれてますが、舞台ではひたすら阻害されることが強調されていたように思います。人間に対して、積極的に暴力はふるいませんでした。
でもそれって、結局可愛そうなエドワード、だけで終わっちゃう気がするんです。
阻害されても耐えて耐えて殺される。聖人的な扱い。人間じゃない。結局形は違っても「怪物」「聖人」で人間じゃない。人間じゃないままで終わっちゃったら、それはただのいい話になってしまう気がしました。
映画だと、怒りも覚え、殺意も覚え、全て人間と同じ感情を持っているのにもかかわらず、自分は人間として扱ってもらえないという方に私は悲しみを感じたもので。そして尚且つ、それらの経験、思い出を持ったまま生きていると言う事に感動してしまった私なので。
そこら辺の違いに私は物足りなさを感じたのかもしれないです。
見る人によって差が出るところだろうけれども。
それに、冒頭で博士が「子供の思い出として付けられたハサミ」の意味が最終的に生きてきたか?といわれると、生きてないきがしてならない。そこがやっぱり残念だったなーと。


演出、場面転換、小道具は本当にお見事で、飽くことなく見られました。
男性×女性グループ、子供×大人グループ、キム一家×ジム一家×神父一家×お色気おばちゃん一家、その他1家族4人ずつのグループ、それぞれのグループに集合したり分散したりダンスが交差しあい、その中でも個性がそれぞれ生きており、そこにエドワードという異質な個人(主役)が入ってくることで歓迎、愛情、嫉妬、阻害などが浮き出てくる。ダンスのことを詳しく知ってるわけではないのでどうこう書けませんが、そういう動きで(表情を無視しても)集団の中に湧き上がる感情を表すことは、心底うまいと思ってしまいます。
私は神父一家(映画だと一番最初にエドワードを見て呪いのセリフを吐くおばちゃんにあたる)がツボでした。なんか、オジー・オズボーン一家と、アダムスファミリーを足して2で割ったような感じ(笑)ゴシックなんだけど、パンクみたいな。神に仕えてるのにどこかヒステリックな感じ。
マシュー・ボーン作品では毎回登場する、中年だけどお色気ムンムンのおば様。(他の作品だと王妃とか)映画ではもうそのまんまで登場してたので、まんまで。てか、このおばさんを使いたいが為に、シザーハンズやった?とか思っちゃった。(違うと思うけど)
あとね、キムが目立たなかったよ、あんまり…。キムより、他の家族の女の子の方が服も動きもよかったんだよ…。ってまた私の趣味的な問題だな、これ。

仕掛けとか私はあんまり興味ないんだけども、一応書いておきます。
植木を星の形にカットするシーンとかあるんだけど、よく出来てました。もとの植木をエドワードがハサミをシャカシャカ動かして触れると、ぱらぱらと落ちていくんですよ葉っぱが。一気にじゃなく、ちょっとずつ。で最終的に星の形になるという。あれどうやってんだろう。
あと氷を天使の形にカットするシーン、映画でも印象的なキムが踊る場面。ちゃんと氷くずが舞い散ってました。これはでっかい氷の像の後ろでなんかやってるのわかったんだけども、再現できるってのはすごいんでしょうね。

んで、これは言っちゃいけないと思う一番の仕掛け、ポイント。
最後、エドワードが死んで、冒頭で語ってたおばあちゃんが出てきて、エドワードが背景とともにシルエットで浮かび上がったら終わりだと思うじゃないですか。
てか、終わったんですよ。ここでみんな感動に包まれ拍手。
でも、カーテンコールがあるでしょ?次はカーテンコールだと思わせるだけの間は取っていた。
カーテンコールでまず、一人でエドワードが出てきたら役者として出てきたと思うじゃない?
違うんだよこれが!!
エドワード登場後、憂いを帯びた表情でハサミの手ををいい感じに持ち上げてポーズ。
…その時。
会場に向かって、雪が降るんだよ!
前列5列目くらいまでは雪まみれ!実際何が降ったのかわかんないんだけど、白いものがぶわーーーーーっと降るんだよ!
映画ではキムの事を思って降らせた雪って感じだけども、舞台では見ていたあなたたちに!って雪が降るんだよ。これはちょっと意標をつれた感じがした。
…でも本編でちょっと残念、と思ってた私には「まあこのくらいはないと…」とか思っちゃった事は内緒だよ!
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以上。

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